後期高齢者の健康について一言

75歳越え、
世間でいうところの後期高齢者のエリアに入って
あっという間に1年経ちました

日本人の男性の平均寿命は
81.05歳(2022年度)なんだそうです

それでいくと小生は
あと5年で到達です

マラソンでいくと
40キロ地点を過ぎたあたりで
まもなく競技場という

まさに最後の2キロ
先頭でラストスパートを
かけようとしているところでしょうか

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これは運がいいと言えるのか!全治6ケ月の重傷・・・でも命は助かった

これまでの人生での
最大の危機一髪!は
なんといっても
交通事故で3か月間入院ですね

印刷会社に入り
パソコンを仕事として
毎日が新しい知識の吸収で
燃えに燃えていました

入社して6か月後
制作オペレータとして
電子組版部門の主任となり
グループの中核を担うほどになりました

会社の忘年会で係長と飲みまくり
係長の奥様に車で送って頂いたその途中
(運悪く)横から他の車にぶつけられ

後部座席で横になっていた小生は
衝突のショックで開いたハッチバックから
外へ投げ出されたのです

目が覚めたのは翌朝
救急車で運ばれた病院のベッドの上

係長と奥様は幸い軽症ですみましたが

交通事故で入院、全治6か月

結果的に小生は
頭がい骨骨折
脳の髄液流れだし耳にたまり凝固
肋骨骨折
腰椎8本骨折
全身打撲

全治6か月の重傷!でした

2週間後に
海老名市の総合病院に転院
脳外科病棟に移りました

が、まもなく肺炎発生

毎日夕方には40度近い発熱に襲われ
それが1週間ほど続きました

やむなく肺に内視鏡をいれ
直接患部に薬投与
(その時の痛み!!!大)

肺炎の原因としては
どうも骨折した肋骨が
肺にあたり
傷つけた際に
そこから細菌が侵入したのではとのことです

結果的に
3か月間の入院
1か月の自宅療養
事故から4か月後に職場復帰

健康診断で
胸部レントゲンを撮りますと
そのときの部分には
いまでも影があります
これは消えないようで

事故の検分を行った警察の方のお話では
これだけの事故で
よく死ななかったねと
いうことですが
運がいいということでしょうか?

(タイトルの)
「健康」とはちょっとずれましたが

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生まれてからの病歴を思い出してみると

小さい時から
偏食がものすごくて・・・

1955年頃、田舎の農家ですから
野菜中心です
肉はめったに食卓にはでません

ネギ、玉ねぎ、にんじん、ピーマン、オクラ、山芋などネバネバ系
納豆もちろん
ダメでした

食べれた野菜は
豆類、かぼちゃ、キュウリ、ゴボウ、白菜、キャベツ、大根
あれっ意外とありますね

甘いものが大好きで
金時豆と生卵とで
卵かけごはんが主食
というかそれだけ

小学校へ入学した時の体重
15キロ!
同級生で一番大きい子が20キロ越え
集合写真を見ると
一学年下の子が混じっている感じ

小学1年生の同級生たち、明らかに体が小さい

<小学1年同級生 右端 本人>

ですから
体力がなく
よく熱を出していた記憶があります

風邪もよく引いてました

ただ大きな病気は
してないですね

甘いものが好きで
あんまり歯を磨かなかったので

虫歯が多く、中学で差し歯を入れることになった

虫歯が多かったです
歯医者へいくのも怖かったし
学校の歯の検査は大っ嫌いでした

小学校6年生のころで
体重35~37キロ
痩せてガリガリでした
子どもながらにコンプレックスを
感じて育ちました

中学卒業のころは
165cm・50キロまで成長し
高校入学~現在まで
165cmは変わりません
むしろ若干縮んだかも?

その代わり
体重はといえば
現在68~70キロくらいまで
なってしまいました

完全にメタボ体型です

30歳過ぎてから
肝脂肪に問題ありと指摘され続け
γ-GTP値は基準値を下がることはありません

それ以外は特に問題はなかったのですが

35歳ころヘルニア発症
手術、その後発症なし

65歳で膀胱がん発症
手術・抗がん治療でその後経過は良好で
6年後経過観察終了

71歳に縦隔リンパ(心臓と肺の間のリンパ節)
若干大きいと指摘され
1年ごとにCTスキャンで検査
4年後に観察終了

75歳夏、排便時に便器が真っ赤に染まり
診察を受けるも明確な原因不明
10年前の膀胱癌から
前立腺肥大も疑ったが
大腸の内視鏡検査の結果

ポリープあったが良性
MRI検査の結果も問題なし
1年後のMRI検査で
現在も検査観察継続中

こんなところで
現在はメタボと
原因不明の血便が現在進行形であります

あれから60年、虚弱体質からメタボに変化

若いころから
切れ痔を持っているので
それの関係かも知れない

2大疾患(事故)として

1.交通事故による肺炎
2.膀胱がん

ですね

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厄年って信じますか?

厄年という言葉についてGeminiに聞いたのを要約すると

厄年(やくどし)

日本では伝統的に不吉だと信じられている年齢で、厄年は「災難」または「不幸」を意味し、「年」を意味します。

厄年は、新しい仕事を始める、結婚する、子供を持つなど、人生の大きな転換や変化と関連付けられるのが一般的で、病気や事故に遭いやすい時期とも考えられています。

男性と女性では厄年になる年齢が異なり、男性の場合、最も重大な年は42歳、女性は33歳です。ただし、他の年齢の厄年もあり、通常はそれほど重大ではありません。

厄年の不運を避けるために、日本人は神社や寺院を訪れて祈願し、お守りやその他の祝福を受けます。また、危険な活動を避けたり、特別な服を着たりするなど、他の予防策を講じることもあります。

厄年は迷信に基づいていますが、それでも人々の生活に大きな影響を与える可能性があります。厄年の期間中に不安やストレスを感じる人もいれば、不運を避けるために特別な措置を講じる人もいます。また、厄年を自己反省や個人的な成長の機会と見なす人もいます。


今考えると、交通事故にあたのが丁度42歳でしたね・・・

75歳越えて自分の歯がまだ半分以上残っているのは不思議かも

前述のように
小さい頃から歯は丈夫ではありませんでしたね

前歯の二つの歯の間が虫歯になって
丸く穴になって
中学の卒業までに

前歯の上4本、下2本を差し歯にしました
歯医者さんから
「これから先(一生)、これで持つことは難しいから・・・あと何回か代えることになるね」
と、言われました
差し歯が持つのは
良く持っても20年
もたないと10年ごとに・・・

そんな風に言われたもんですから

60歳(当時、サラリーマンの定年が60歳でした)になる頃には
総入れ歯になるかもしれないな
と、漠然と思っていました

定年になったら
毎日のんびりと趣味に関わりながら
暮らしているのかなあ

とんでもない考えを持っていたことになる
現在の世の中、60歳で定年退職、悠々自適の暮らしなんてとんでもない話だ!

あれから60年経っている・・・

なんだカンダと言いながら

確かに歯医者さんが言ったように
大修繕1回
1本だけ応急処置1回
中リフォーム1回を経て

まだ半分は自前の歯で
頑張っています

小生の上の兄さん
現在84歳(自分より+8歳)新潟県田上町に健在ですが
60歳過ぎに
総入れ歯にしておりました

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人生のゴールまで病気と上手に付き合っていくしかないわ

こんな感じの

後期高齢者の健康状態です

標準でいきますと
あと6年の任期(?)ですが
最後まで健康で(まあ死ぬときは健康ではない!)
自分の趣味であるパソコンを
楽しんで暮らしていきたいね

病気を自分の一部と考えて
共同体として
仲良くします

最後までお読みいただきありがとうございます
コメントありましたらお願いします

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